いつかサヨナラが来るなら100年後よ

 

 

船木結ちゃんがアンジュルムハロープロジェクトを卒業してから1年半が経つ。

それで今日、船木結ちゃんは20歳を迎えた。

 

お元気ですか、ふなちゃん。

めちゃくちゃ幸せじゃなくても、それなりに楽しく生きていてくれたらわたしは嬉しいです。

いや、できればめちゃくちゃ幸せであってほしいけれど。

 

好きなアイドルが卒業してから今日まで、わたしがどんなふうに思いながら生活をしてたか、というと大げさだけどこの気持ちをどうしても文字にして残したいと思っている。

 

わたしはふなちゃんが20歳を迎えるのを本当に楽しみにしていた。

ハロプロの子たちが成人式のときに振り袖姿をブログにアップしているのを見て、ふなちゃんが20歳になったとき振り袖姿が見れるんだ!と楽しみにしていて、それまでに卒業してしまうなんて少しも考えていなかった。

その思い、というか執着はふなちゃんが卒業しても変わらず・・・

ふなちゃんがこうして20歳になろうとしているときにわざわざブログを書いている。

 

あ~ふなちゃんの振り袖姿見たかった~~~~~!!推している女の子の振り袖姿を見れる人間全員うらやましい~~~!!

 

ふなちゃんの振り袖姿へのキモいまでの執着の話終わり。

 

 

卒コンがあった1ヶ月後くらいにふなちゃんの卒業特番があって、それがとてもいい番組で、でも泣きすぎて感情がグッチャグチャで頭がおかしくなりそうだったから一度見たきりずっと封印してた。

けど昨日、初めて見返してみた。

そうしたら思いのほか普通に見れた。見れちゃった。

ああこれが卒業して1年半経ったってことなんだ、と思った。

 

ふなちゃんが卒業してからどのくらいまでだろう、ずっと寂しくておかしくなりそうだった。

 

初めのうちは、アンジュルムのグッズが公開されるたびに内容見て、あ~ふなちゃんいないんだった~!ツラ~い!って叫んでた。

ひなフェスの抽選動画が上がれば、ふなちゃん今年はソロがいいな~!・・・いないんだった~!ってずっこけた。

ふなちゃんと再会して抱き合うっていうなんとも都合の良い夢も見た。

好きなダンスに出会う度に、これはふなちゃんが踊ったらかっこいいだろうな、とか想像した。

+81 DANCE STUDIOのコレオグラファーの名前が「MUSU」じゃないか毎回チェックした。

ふなちゃんとお話したメモとか、ライブ行ったときの自分の感想を事あるごとに見返して、そのときのことを思い出して楽しかったなあ戻りたいなあって思った。

ふなちゃんの居ないアンジュルムの単独コンサートを見て、ここの立ち位置はふなちゃんだったな~とか、ふなちゃんのこのパートはいまこの子なんだって知って無性に涙が止まらなくなったりもした。

 

まあとにかく船木結ちゃんの超亡霊オタクと化してた。

 

それがいつからか、思い出す回数が減ってきた。

 

それがつらくて、これ以上思い出さなくなるのが嫌で、どうにかしたくていまこれを書いてる。

別にこれを書いたからってふなちゃんへの気持ちが現役のときみたいに大きくならいないこともわかってるけど、それでも足掻きたいと思った。

 

ふなちゃんがグッズにいないことにも、アンジュルムの新曲PVにいないことにも慣れた。

好きなダンスに出会ったときに、ふなちゃんに踊ってほしいなってふなちゃんを思い出すこともあんまりなくなった。

自分が当時行ったライブの感想を読んでも、そのときのことがうまく思い出せなくなった。

自分の記憶の中にしかない、双眼鏡で見てたふなちゃんの映像も全然思い出せない。

映像には残ってないけど絶対にこの目で見たはずの好きなふなちゃんのダンスがどこだったかもだんだん忘れていってる。

それとこの間、久々に会った友達に「なんでばっさり髪切ったの?」って聞かれて、ふなちゃんたちがショートにしたから私も真似した、って理由をすぐに思い出せなかったのはかなりつらかった。

現場だけじゃなくなにかある度に記録みたいに残してたツイートたちを今見ても、そのときの気持ちが思い出せない、タイムスリップできない。まるで他人のツイート見てるみたい。

いつかふなちゃんの卒コンを見ても泣けない日が来るかもしれないのが怖い。

 

ずっと寂しいままでいたいし、ふなちゃんがいなくても明るく楽しく生きていけるようにはなりたくない。

いないことに慣れたくない。

事あるごとに思い出して辛くなりたいし、やっぱりふなちゃんがいないと人生うまくいかないや!ってなっちゃえばいいのにと思う。

そんなのが楽しくないなんてわかってるけど、楽しくなくていい。

ふなちゃんを忘れて楽しい人生を送るほうが嫌だ。

 

こうやって文章に残して、無理矢理寂しくなろうとしてるんだと思う。

でもこうやって文章に残したら、また気持ちが整理されて寂しさが減っちゃうのかな?って思う。

いまこうやって書いてるのが、私にとって正しいのかも分からない。

 

大好きだったはずなのに、大好きなはずなのに、大好きの根拠になってる記憶がどんどん薄れていく感じがする。

 

映画「リメンバー・ミー」で

”心臓が止まった時が一度目の死、生きている世界の誰からも忘れ去られたとき二度目の死を迎える"

っていうのがあって、印象が強くてずっと頭に残ってる。

 

表現が物騒になるけど、アンジュルムにいた船木結ちゃんは1年半前に死んでる。

確かに1年半前は居たけど、今は居ないしこれからもずっと居ないし。

この先アンジュルム船木結ちゃんに会えることは一生ない。

これが一度目の死だとしたら。

 

もしも私が、ふなちゃんがアンジュルムにいたこと、アイドルをしてたことを忘れちゃったら、私が自分の手でふなちゃんを殺すことにならないかな、と思う。

もちろん、当然、他のオタクたちがふなちゃんのこと忘れるわけはないからこれは私の中だけの話で。

私の記憶の中で生きてるふなちゃんは、私だけのもので、私が忘れたら死ぬんじゃないか。

たぶんこれが二度目の死だ。

 

だから、どんなに記憶があやふやになってきても、思い出す回数が減っても、私はふなちゃんがいまも大好きだぞー!ってこの先ずっと言おうと思う。

私の中のふなちゃんを私が殺すわけにはいかない。

私のクソみたいな記憶力には負けない、抗ってやろう。

忘れていく過程もこうやって全部残す。

 

ああでも、やっぱり書いたら気持ちに整理がついてスッキリしちゃったかもしれない。

書かなければよかったかな?分かんないな。

 

私の記憶の中のふなちゃんは、私が死ぬそのときまで一緒に生きてもらおう。

いつかサヨナラが来るとしたら、100年後だよ。

 

意地でも忘れない。

ずっとずっと大好き。

 

船木結ちゃん、20歳の誕生日おめでとう。

 

 

 

流行病体験記

なった。

 

新型コロナウイルス感染症に。

 

「熱が下がったら絶対にお前のことをはてなブログにしてやる」

という強い気持ちで高熱と戦ったので記念に記そうと思う。

 

健康に産んでもらったのでこれまで大きな病気はなく今までで一番つらかったのはインフルエンザかな?という感じだったが間違いなくコロナが一番つらい。

つらいのは3日間だったがその3日間がマジでつらかった。

 

これは注意喚起でもなければ、お役立ちブログでもない20代一般女性の流行病奮闘記である。

 

【年齢】20代

【住居】23区内 実家(母・妹・かわいい犬)

【仕事】一般事務 ここ数か月は毎日出社していた

 

 

1月27日(木)

 

友人とサロンデュショコラへ行った。

この友人とは年が明けて初めて会ったのだが「実はこの間コロナになった」と言われ驚いた。

車に乗ったままドライブスルー形式でPCR検査を受けたこと、療養期間中が長くて暇で、趣味で物書きをしている友人は「やることもないから筆が進んだ、3本書いた」と言っていたこと、症状はのどの痛みだけだったことなど色々聞いた。

次の日発症するなど知る由もない私はジャンポールエヴァンのケーキをばくばく食べながらこの話を面白おかしく聞いていた。

 

この日はサロショ内でクレジットカードを落として人生初の館内お呼び出しをされてとても恥ずかしかった。

まさかこれも・・・コロナのせい・・・?

 

 

 

1月28日(金)(発症日)

 

朝起きると少しのどが痛い。

口呼吸の癖があり乾燥してのどがガサガサすることがよくあったので気に留めず出社、仕事終わりに外食をした。

会社のひとに「声枯れてない?気を付けてね・・・」と言われ、やっぱり声枯れてるか、と思った。

気を付けてね、と言われてももしこれがコロナのせいなら今からなにを気を付けろというのだろう、と思った。

 

土曜は東京卍リベンジャーズ原画展に行く予定だった。

友人がコロナになり行けなくなったというので厳重な本人確認をすりぬけるため身分証まで借りた。

「原画展が楽しみで美容院とまつエクにまで行った、なので私の分まで楽しんできてほしい」と言われ仕事より重い責任を感じていた。

東京卍リベンジャーズに対して「喧嘩をやめて話し合え」「家族や恋人が本当に大切なら喧嘩はやめよう」という感想ばかり出てくるわたしには重すぎた。

とはいえ池袋のカフェを調べてここに行きたいなどと友人と話しながら明日を楽しみにしていた。

 

のどのガサガサが不安で、夜に恐る恐る熱を計ったが36.8度だった。

一応風邪薬を飲み、めぐりズムのうるおいマスクをして就寝。

これで明日の朝にはばっちりだ。

 

 

 

1月29日(土)

 

明らかにのどの痛みが増している。

ていうかもう唾を飲み込む度に激痛で変な声が出る。

ちょっと頭もぼーっとするかも、これはまずい。

とりあえず熱計ろう。

 

38.6度、終わった。

 

私はもともと自分の体調に鈍感だなと自覚はあるのだが熱が38.6度あっても、ちょっと頭がぼーっとするかも?などとほざいているのだ、いい歳してこれなのだ。

将来、病気の早期発見は無理だろうなと思う。

ここからは記憶が曖昧だ、それはそうだ、熱が高いから。

 

原画展に一緒に行く予定だった友人、身分証を借りた友人に光の速さで電話をして、身分証の件、チケットの件、グッズ代行の件すべて話して話を纏めたのだ、と思う。

人生の半分以上オタクをしているだけの本領は発揮できただろう。

 

そこからは濃厚接触者に当たるひと、会社に連絡。

 

会社から、PCR簡易検査キットをもらっていたのですぐに使って検査するも陰性。

これで陽性だと無料で訪問PCR検査をしてくれるサービスがついていたのだが陰性。

 

もう病院を探すしかなくなったので公共交通機関を使わず行ける発熱外来に片っ端から電話を掛けるが「予約がいっぱい」と断られる。

こ、これ毎日ニュースで言ってるやつ・・・

 

東京都発熱相談センターというところに電話をかけてみた。

結論から言うと自宅近くの病院を紹介してくれるだけだった。

発熱相談センターから紹介されたと言えば予約が取れるかもしれないので」と言われたが全くそんなことはなかった。全然無理だった。

でも対応してくれるひとはとても優しかった。

 

日曜は更にやっている病院が減るため、土日の受診は諦めた。

 

熱は最高で39.5度まで上がった。

解熱剤を飲んでも38度台までしか下がらない。

39度を超えてくるともう暑いのか寒いのかわけがわからない。

のどの痛みもどんどん増していく。

 

この日はまだご飯も食べれたし、水分も取れた。

 

これは東京卍リベンジャーズ原画展に一緒に行く予定だった千冬のオタクがくれたお見舞いの品、ドラケンのおねむたんだ。

ずっと見える位置に置いてドラケンの頭に彫られた龍を眺めた。

 

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1月30日(日)

 

熱は変わらず38~39度を行き来していた。

夜中布団の中であまりに寒くて動けず家族も呼べず、母にLINE電話をしたが出てくれず、布団の中で少し泣いた。

本当に寒いとひとは動けず震えることしかできないのか。

結局、母に助けを求めて毛布を得た。

 

この日がのどの痛みのピークだった。

 

まず声が出なくなった。

ただ呼吸をしているだけなのにのども、耳も痛い。

人間なので唾を飲み込むという行為は必須だ。

それがもう、もう、唾を飲み込むたびにのどが千切れるほど痛い。

次に唾を飲み込んだときにはわたしはもうこの世にはいないかもしれないな、という決意で毎回唾を飲むのだ。

のどが爆散してもおかしくないと本気で思った。

 

この日はこんな調子なのでご飯どころか水分さえもほぼ取れなかった。

寝てる間に無意識で唾を飲み込み、あまりの激痛で飛び起きる。

これを永遠に繰り返していたので寝ているというより常にウトウトしていたに近い感覚で本当につらかった。

例えるならこれである

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あと声が出ないというのがおしゃべりモンスターであるわたしにはかなりのストレスで泣きそうになった。

LINEで送ればいいのだがスマホをいじることもつらいのでできれば言葉で伝えたい、のだが声が出ない。

そうすると、もう言わないでいいかと諦めてしまう。

そして自分のことだれもわかってくれない・・・ムーブに突入した。

最悪だった。

 

この日、ベッドの下にスマホを落としてしまうという大変な出来事があった。

もう身体が熱のせいでいうことをきかないのでベッドの下に潜ってスマホを取るなんてとても無理だ。

でも声が出ない、家族を呼べない、スマホもないので連絡手段なし。

どうにか部屋を出たところで壁をバンバン叩いて妹に気付いてもらった。

こっちに来てほしいという意味で手招きをすると手を振られたと勘違いした妹が手を振り返してきた。

違う、違うんだ、姉ちゃんは。

部屋に来てもらって微かに出る声で説明しスマホを取ってもらった。

落としたスマホを拾うだけなのに一人ではどうすることもできないという事実にひどく落ち込み、布団の中でかなりしっかり泣いた。

情けない、やるせない。惨めで恥ずかしかった。

 

声が出るようになってから母にこの話をしたら涙を流しながら笑い「なんでそんな面白い話もっと早く教えてくれないの」と言った。

そりゃ、声が出なかったからね。

 

 

 

1月31日(月)

 

 祝・Travis Japan コンサートツアー

「IMAGE NATION」ライブDVD 発売日

 

などと言っている場合なわけもなく前日に続きのどの痛みがひどい。

もちろん痛み止めなどじゃぶじゃぶ飲んでいたがなにも効かないのだ。

 

午前中に発熱外来を予約して受診。

声が出ないので母についてきてもらった。

病院についたら電話をしないと院内に入れないというシステムで、もし声の出ないわたしが電話をかけていたら無言電話になってしまう・・・とくだらないことを考えながらPCR検査を受け終了。

結果は明日と言われた。

 

のどが痛くてご飯も食べられないという話を医者にすると「ポカリ1日2リットル飲んでれば1週間くらいは大丈夫だから」と言われた。お前は田中みな実か。pHがどうだとか言うのか。

声出ないので言いませんが。

よかったな、わたしの声が出なくて。

 

もらった薬のおかげもあってか、午後から熱も39度を超えることはなくなったので余裕だった。

38度台などわたしにはもう平熱と同義だ。

のども激痛には激痛だったが前日に比べれば多少マシだった。

依然声は出ないが。

 

夕方、家のインターホンが鳴った。

母と妹はお風呂に入ってるようだった。

Amazonかなにかだろう・・・

 

いや、

Travis Japan コンサートツアー

「IMAGE NATION」ライブDVD

が、来た。悟った。

 

気付いたと同時にマスクをしてダッシュで部屋から出てインターホンに出て「はい!」と言った自分の声に驚いた。声が出ないことを忘れていた。玄関に走り受け取った。

安心してベッドの中に戻ったところで急な激しい運動に身体が驚いてしまい呼吸が浅くなりヒューヒューしてしまった。

そもそもいつ受け取ろうが見れるのはまだ先なのだ。

わたしの隔離されている部屋にはDVDプレイヤーなどないのだから。

考えるより先に身体が動いてしまった。

 

このことを友人に話すと「インターホンで声が振り絞れないあたり本当に声が出ないのが伝わってきて臨場感がある」と高評価をもらった。嬉しい。

コロナになって良いこともあるものだ。

 

ご飯が食べれるレベルに回復したので素うどんを食べた。

のどが痛くて食べれないだけで空腹感はあったので暇さえあればInstagramTwitterで飯の写真を見ていた。

結果、いままで食べた素うどんで一番おいしかった。

テレビ千鳥 ガマン飯の原理である。

 

我が家は親子でドラマ好き、ハードディスクは常にパンパンなのだが元気になってきたこの日、母からこんなLINEが来た。

「元気なら月9のミステリと言う勿れ見ちゃってね」

「明日からのカムカムエヴリバディ(朝ドラ)も起きて見てね」

元気になってきた途端ドラマに対して鬼ストイックだ。

頑張ろう。ファイトソングも2話溜めている。

 

 

 

2月1日(火)(仕事復帰)

 

営業事務の仕事をしているので月初を休むのはいかがなものかなということで在宅勤務で仕事することにした。

声は少し出るようになり、本間朋晃のような声になっていた。

 

熱はもう37.5度以下といったところで、日に日にのども良くなっていく。

 

ここでようやくPCR検査の結果が来る。

陽性。でしょうね。

 

会社内(東京支店内)でコロナ第一号という不名誉な称号を得た。

会社にもさすがに迷惑がかかるので申し訳ない気持ちになるだろうと思っていたが存外そんなことはなかった。

在宅勤務ができる環境であるにもかかわらず出社させるような会社なので予め在宅勤務という措置を取らないのが悪いんだよな、となった。

 

会社のひとから電話で「今日の東京都の感染者の何万人!の中の一人が○○さん(わたし)ってことやんな!?」

と言われた。そうだよ、普通に考えて。

 

 

 

2月2日(水)~

 

熱は完全に下がり、のども日に日に良くなっていく。

久々にのどの痛みに起こされることなく睡眠がとれた。

この日くらいから咳がしつこくなってきた。

のどの痛みとバトンタッチかのように咳が出るようになった。

声も日に日に本間朋晃ではなくなっていく。よかった。

このまま回復して何かの間違いで小泉今日子の声になったりしてくれないだろうか。

 

 

 

おわりに

 

実家暮らしであること、母がいることに感謝した。

一人だったら野垂れ死んでいただろう。

もう一生実家に居たいな。

 

熱が出てから、濃厚接触者の期間や自分の療養期間同居している人間の待期期間など調べたが遅いなと思った。

熱があるので文字が読めない、それはそうだが。

 

あと一応東京都からSMSで健康確認みたいなのが来る。

感染者数が多すぎるので仕方ないが東京都の陽性者に対する対応はSMSで調子どう?と聞いてくるのみだ。

 

 

もう書くこともないので最後に、粉薬が苦手な2〇歳女性独身実家暮らしの服薬写真で終わろうと思います。

 

ありがとうございました。

本当につらかったのでみなさん感染しないほうがいいです。

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結もまた会えるように頑張るから

 

2020年12月9日、こんな状況であるにも関わらず観客を入れて日本武道館という大きな会場で私の大好きなアイドルが卒業公演をした。

好きになったときから、この子が卒業するときには絶対お気持ちブログを書くんだ…と決めていたので途中でへばらずに書こうと決めてから1ヶ月が経ち完成しました!!元旦!!あけましておめでとうございます!!!!!

 

私の大好きなアイドルというのは、ハロープロジェクトに所属している船木結ちゃんという女の子。
かの有名なももちのいたカントリーガールズというグループでデビューした少しあと、アンジュルムとの兼任になって二足のわらじでアイドルをしていた。

 

年始のハロコン(ハロプロ全員でどんちゃんやるコンサート)に元彼に誘われたから行った。元々興味はあったから、一人も知らなかったけど推し探しちゃおう〜♩♩♩の気持ちでかちこんだ。チケット代、元彼持ちだったし。

正直どのグループも人数多くて誰が誰だか分からないな!!と思ってモニター見てたら、カッコイイ曲での表情管理が天才…みたいな子が映って、ビクセン10倍の双眼鏡でその子を必死に探して追いかけるとダンスが超〜〜〜〜〜上手くて「このグループだったらこの子だな…」と思った。

そのあと可愛いワンピースの衣装を着た子たちが歌ってて、こういうグループもあるのか〜と思ってたら「さっきの私が気になった子と同じ子がいるな?」と気付いた。

その後の挨拶で「アンジュルム」と「カントリーガールズ」どちらでも挨拶をしてて、ハロプロにも兼任とかあるのか、大変だな…と思ったりした気がする。

 

これが所謂"出会い"だった(キモオタク構文)

終わってすぐ調べた。
船木結ちゃん、可愛い名前だな〜「むすぶ」ってすごい可愛いな〜何歳かな〜❓❓❓
2002年5月10日………………………………❓❓❓❓❓❓❓❓❓❓
私が好きになったときは中学三年生だったらしい。ジャニーズは基本歳上がデフォだった私からしたらみ〜んな歳下でびっくりした。
ジャニーズの担当もいまはとうとう歳下になったけど…

そのあとは片っ端から動画見て、ダンスも歌も表情もなにもかもがどストライクでどんどん好きになった。

チェキ会があるっていうのでとりあえず買った。券がランダムだったし(なぜ?)案の定別の子が当たったので交換を探して、前日の夜中2時くらいに交換が決まって興奮のあまりほぼ寝ずにチェキ会に挑んだ。人生で一番丁寧に化粧をして撮ったチェキは引くほど盛れた。結ちゃんの顔はよく覚えてない、ただすごいコンパクトサイズな子だなと思った。

 

私は結ちゃんのダンスが特に好きで、初めの頃は「私の好みにドンピシャなダンス」と思っていたけれどいつからか「結ちゃんのダンスが私の好きなダンス」に変わったような気がする。
初めは私の"好きゾーン"に結ちゃんが入ってきていたけど、だんだん結ちゃんのダンス全部に自分からハマっていったような。


泣けないぜ、共感詐欺 / Uraha=Lover
という両A面シングルがあった。
このシングルのリリイベ関東近郊でやってたやつ全箇所、全部の回行ってた気がする。完全に新規ハイだった…
3日目くらいから足腰が死んでて始まるまでの時間はずっと「明日こそ行くのやめよう」と思ってた。
それでも行ってたのは、連日のリリイベで同じ曲ばっかりやってるにも関わらずどんどん精度が増してるような、むしろアップデートされていくダンスを見るのが本当に楽しかったからだと思う。
慣れた曲でさえ少し見ないうちに音の取りかたを変えて踊ってたし、フリーのところは毎回違うダンスをしてた。

 

現場に通うようになって、なんとなくハロープロジェクトのことも分かるようになってきて「カントリーガールズ活動全然しないな」と思った。
当時5人いたカントリーガールズは、内4人が兼任だった。今考えてもすごいな…
活動が多いのは圧倒的にアンジュルムで曲を出すペースももちろんアンジュルムの方が早かった。グループが活動的な上にゴリゴリのダンスが好きな私は、アンジュルム船木結ちゃんの方が好きだった。アンジュルムにいる結ちゃんの方が楽しそうで好き、とかではなくて単純にアンジュルムの曲で踊ってる結ちゃんの方が好きだった。

 

正直なところ、いまだから「アンジュルムの結ちゃんのが好き」だとかはっきり言える。

 

兼任、というのはなぜ在るのか一生の疑問なんだけど在るのだから仕方ない。
結ちゃんに関しては、兼任が発表されたときまだファンでは無かったからなんとも言えないけれどまあ色々言われてたっぽい。好きな子の悪口は見たくないからあんまり調べてない。

 

カントリーガールズは、珍しく上下関係があまりないグループで先輩後輩関係なくタメ口で話してたし姉妹みたいに見えた。
結ちゃんもギャンギャン喋って、ボケて、いつも楽しそうだった。

 

アンジュルムに入ったばかりの結ちゃんを見て、この子人見知りだったのか…と気付いた。いつも周りを気にしてるような素振りで、特に1~3期に対して遠慮がちなように見えてた。
甘え上手な子が多いアンジュルムの中に少し恥ずかしがり屋で控えめな結ちゃんがいて、大丈夫なのかな?と思ってた。

 

どっちのグループも見ているとやっぱり「結ちゃんはどっちの方が好きなのかな」とか考えた。そんなもの考える必要ないし結ちゃんはどっちも大切にしてるのをちゃんと伝えてくれてたのにこんな意地悪なことを自分が考えてるのも嫌だった。
可愛いもかっこいいも同時に見せられたからこそ結ちゃんのことが好きになったと思うし兼任じゃなかったら好きになってなかったと思う。だから兼任であることの否定だけは絶対にしないってずっと決めてたけど、2つのグループを均等に愛すっていうのが私には結構難しくて落ち込んだりした。
結ちゃんが両方とも同じくらい愛していると、こちらに伝えようとしているのが分かってたから私も同じようにしたいと思ってた。
結局できてなかっただろうな〜オタクって難しい…

兼任、ってそれこそ最近で言うと目黒蓮くんがSnowManに入ったときものすごいあれこれあって「兼任だけは誰も幸せにならない」的なムードになった。
私も同じように思ったけど、それを私が口に出したら結ちゃんの兼任まで否定してるような気がして悶々としたりもした。

いまさらだけど、最後の最後までわたしは兼任という言葉に悩まされたな!?
結ちゃんは真摯に2つのグループに向き合っていたのに「兼任は良くない」的な風潮がハロプロ界隈だけじゃなくてどこにでもあって、私の好きな女の子を頭から否定されてるような気にもなったりした。
これに関しては気にしないようにするしかなかったけど…

 

私が足腰を殺しながら通ったリリイベが終わったすぐあと、カントリーガールズの梁川奈々美ちゃんが卒業発表をした。
梁川奈々美ちゃんは、結ちゃんと同期でシンメのような子だった。性格はあまり似てなくて、ウチらバチバチのライバル!みたいな二人だった。


リリイベ期間中の結ちゃんは毎日同じクオリティのパフォーマンスで、元気いっぱいで、笑顔で、私が最前にいた日はその後の握手のときに「見えたよ!」って報告してくれた日もあった。
嬉しすぎてその日食らった飯が全て美味かった。

 

当たり前だけど自分のシンメが卒業することなんて全く感じさせなかったから、若いのにこんなにアイドルという仕事を全うしてる私の推しはすごいぞ、みたいな誇らしさと、何も悟らせない完璧さに寂しさもあった気がする。

 

梁川奈々美ちゃんは加入当時、本当に赤ちゃんみたいで田舎のかわいい女の子…って感じだった。おでこと困り眉がとにかく可愛くていつも結ちゃんはやなみんのおでこと眉毛を楽しそうにいじってた。


やなみんがJuice=Juiceに加入してから(この子も兼任だった)前髪を作って、かわいいおでこと困り眉を見る機会がなくなった。
オトナなグループに入った上に背も伸びたからか、どんどん垢抜けていったやなみんは綺麗で美人なお姉さんになった。

 

やなみんの卒業コンサートで結ちゃんは信じられないくらい泣いて、何言ってるかも分からないくらい泣いてた。
最後の挨拶で嗚咽混じりで結ちゃんがやなみんに言ったことが今でもずっと忘れられない。

 

やなみんが前髪を切ったときに「おでこおでこ」言ってたのは私の知ってるやなみんがいなくなっちゃうと思って寂しかったからおでこおでこって言ってた。

 

動画で見ると正直聞き取れないくらい泣いてるから要約だけど、だいたいこんなことを言ってた。同期とはいえやなみんの方が歳上で、どんどん綺麗になっていくのを見て寂しい思いをしてたことをこのとき初めて零したと思う。変なタイミングだけど、寂しさをこんなふうに表現する結ちゃんを見て、結ちゃんのことがもっと大好きになった瞬間だった。

 

突然だけど私はセルフネイルが趣味で、やなみん卒業のときにしたネイルが未だに一番の出来だったと思うのでここに残します。

 

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結ちゃんがやなふなのことを
「同じなのに反対 反対なのに同じ」
だと言っていたのが本当に好きだった。

結ちゃんとやなみんのメンバーカラーだったイエローとパープルで「反対」をイメージしてアシンメトリーにしつつも「同じ」をイメージしてデザインはシンメトリーにした。
親指だけはイエローとパープルを混ぜて、やなふなはいつも一緒ッッ!と呪いに近い願いも込めた。
未だに過去一番意味を込めたネイルだったし、理由を書いてて改めて、意味が重すぎて引く…爪を見てただけで涙が出たから卒業終わったあと割とすぐ落としちゃった…

 

やなみんの卒業が発表されたあたりで、アンジュルムに新メンバーが入るというお知らせがあった。

アンジュルムはかなり入れ替わりが激しいグループで、いままで半年以上同じメンバーが続くことがほぼなかったらしい。それがなぜか結ちゃんと川村文乃ちゃん(6期)が入って一年以上同じメンバーでの活動が続いた。
わたしは元々ジャニーズのオタクなので、メンバーがコロコロ変わることに当時全く耐性が無くて新メンバーが入ることに結構なショックを受けた。私の見た初めてのアンジュルムはその10人だったし、その10人での期間が長かったせいで10人が全てだという気持ちだったんだと思う、そこに他の子が入る?ウッ…となった。
でも新メンバー加入が発表されたあとのメンバーのブログはみんな「楽しみです!」的な内容だった。ネガティブなこと思ってても書く子なんているわけないんだけど。

 

新メンバーのお披露目は「電光石火」ツアーのラスト、パシフィコ横浜だった。
つまりこのライブが突如、私が好きな10人最後のライブになった。正直追いつけなかった。
当時リーダーだった和田彩花さんは、過去は振り返らず先を見据えてひた走るようなひとだったのでもう12人になったときのことやこれから先の意気込みみたいなことをブログでもずっと話してた。
頭では分かってても、この10人最後であることに対して少しだけでも触れて欲しいと思ってた。

 

当日は2公演、そこで新メンバーお披露目がされた。
ライブ最後の1人ずつの挨拶で、みんな新メンバーが入って楽しみですという旨の挨拶をする中、勝田里奈ちゃんだけ2公演とも「この10人での期間が長かったから寂しい気持ちもある」と言ってくれた。私は単純なのでとても救われてしまった。
メンバーみんな寂しい気持ちがあるかもしれない…いや、ないかもしれない…分からない…と、分かるはずもない人間の心の内を考えて悶々としていたので、こうやってはっきりと言ってくれる子がいることが嬉しかった。
勝田里奈ちゃんには100万回救われた記憶がある。

2公演目の「友よ」で、メンバーにもサプライズで銀テープが出た。
年上の子たちが「なにこれすご〜い!!」とキャッキャ喜んでる中、スクリーンに映った結ちゃんは顔をぐしゃぐしゃにして泣いていた。
その後スクリーンに次々映る年下の子たち、みんな連鎖したように顔をぐしゃぐしゃにしていた。
結局それが本編ラストの曲で、なんで泣いてたかもよく分からないまま舞台袖に引っ込んでしまった。

銀テープが出たと同時に、何か溜めてたものが溢れたみたいに年下の子たちがみんな泣き出したように見えた。
と、思ったけど憶測の範囲を超えないから理由は考えないことにしてアンコールも楽しむことにした。
アンコールで出てきた年下の子たちは、本当に泣いてた?と思うくらいケロッとした顔で出てきた。見間違いだった?思うくらいケロッとしてた。
最後の挨拶を一人ずつしているときもみんなケロッとしてた。
さっきのは夢か…?私の願望が出たのか…?と思っていたらやっぱり勝田里奈ちゃんがやってくれた。これは勝田里奈ちゃんに救われた100万回のうちの1回だ。

「銀テープが出たとき後輩たちが泣いてて、やっぱり思うところがあるのかなと思った」とニコニコしながら言ってくれて、私の憶測だったものを肯定してくれたような気持ちになった。
このとき結ちゃんは、なんのことやねん?みたいな顔をしてとぼけていて可愛かった、ラブ。

 

結ちゃんはカントリーガールズでも末っ子、アンジュルムでも年下に位置していたから後輩が出来るのが想像つかなかった。
ものすごい人見知りだから、後輩にグイグイ話しかけるのも想像がつかなかった。それでも先輩の顔をする結ちゃんが見れると思うとワクワクして愛おしい気持ちになった。

 

どうでもいいがこの時期に私は個別握手会で「TravisJapanのLock Lockを結ちゃんに踊って欲しいんだよね…」と言っていた。
「トラビス…ジャパン…見てみます!」と言ってくれた、ラブ。

 

2019年の春頃、結ちゃんを含めアンジュルムの子たちが次々ショートカットにした。全員あまりにも、あまりにも可愛くて、中学生のときからロングヘアだった私がいい歳してアイドルに憧れて、真似をしてショートカットにした。

 

アンジュルムは自然体がどれだけ可愛いことかを証明してくれるようなグループだった。
笑って、泣いて、言いたいことを言って、嫌なことがあったら怒る、好きな服を着る、好きな色のリップを塗る、その子の全部を認め合ってるようなグループだと思う。

私にそれが全部できるかというと難しいけれど、ずっと伸ばしてた髪を切るくらいには勇気をもらっていた。

結果、いままでなぜ長かったんだ…と思うくらいショートカットがしっくりきているのでアンジュルムマジでthank you…
この星を私色に変えれそうな気がする…🎶

 

春に髪を切ってからしばらく接触イベントに行けてなくて、夏終わり頃に行ったリリイベで結ちゃんに「切った??😳✂️」と言われた。
に、認知だ……………………!!!!!!!!!!!!!!!!!
認知がいらないと思ってたわけじゃないけれど「覚えて欲しいです!」みたいなこと言えるオタクでもなかったし、個別握手もリリイベもいつも初対面の気持ちで臨んでいたから本当〜〜〜〜に驚いた…うれしかった…
推しに「こいつは私のオタクだ」と覚えられてることが本当に嬉しかった。
結ちゃんの記憶の引き出しに私の顔面があるの、ヤバイ…認知ってうれしい…
髪切って良かった!!!!!!!!!!と水道橋で叫んだ。

 

認知だ🎶と喜んでいた約1ヶ月後の2019年10月18日、結ちゃんの卒業が発表された。
いまでも鮮明に覚えているのだけど、部署異動したばかりだったにも関わらず僻地の客先に幽閉されて鬼残業の金曜だった。同期の華金〜♡と言って載せてるインスタのストーリーを見ながら、私はこんなところでなにをやっているんだろう…と思って自宅まで2時間半ほどかけて帰っている途中の、電車の中で、発表のツイートを見た。

 

死ぬほど疲れている日にこれは無いだろ…と思った。電車を降りて、ハロプロをよく知らない友達に泣きながら電話をして喋るだけ喋って「電車きたから切るね」と言って電話を切った。
かなり勝手な私の話を優しく聞いてくれた錦戸亮のオタクthank you…

 

結ちゃんは、カントリーガールズの活動休止発表と同時に卒業を発表した。
結ちゃんの卒業をアンジュルムの公式Twitterから発信しなかったのだけは一生根に持つぞ〜!!絶対に忘れないし一生許さないんだぞ〜〜〜!!!
勝手で脳天気なオタクだったので、結ちゃんが20歳になったとき振袖姿を見るのを楽しみにしていたし、もしかしたら将来アンジュルムのリーダーになるかも?なんて思っていた。いっぱいの後輩に囲まれてカッコイイ先輩になる結ちゃんをずっと夢見た。
「夢組」という、笠原桃奈ちゃん、上國料萌衣ちゃん、船木結ちゃん、川村文乃ちゃんの4人で組んでた自発ユニットみたいなものがあって、将来はこの子たちでアンジュルムを引っ張っていくんだろうな〜と疑いもせず楽しみにしてた。
和田彩花ちゃんの卒業公演で、夢組の4人で披露した「私、ちょいとカワイイ裏番長」でアンジュルムはこの先もこの子たちがいるから大丈夫だと思いながらシクシク泣いた記憶も鮮明だった。
そのくらい本当に、バカみたいに信じきっていた。


もしもカントリーガールズの活動がなくなるようなことがあっても、結ちゃんがハロプロを卒業するなんて、アンジュルムまで卒業するなんて微塵も考えてなかった。本当に脳天気で勝手だ。

 

カントリーガールズのラストライブは12月、結ちゃんの卒業はそのあとの春ツアーと言われた。結局そのあとに突然室田瑞希ちゃんの卒業が発表、なぜかあとから発表された室田瑞希ちゃんが先に卒業した。
春に卒業と言われていた結ちゃんの卒業が6月に延期された。
正直この辺りは謎すぎて何も言えない。十分な説明も無かったので事務所への不信感だけが募っただけだった。

 

卒業発表後すぐのタイミングでカントリーガールズのライブがあって、そこで初披露された「ずっと ずっと」という曲があった。
カントリーガールズ初めてのつんくさん作詞作曲で、結ちゃんが振付をしたという曲だった。
もう、夢みたいだった。大好きなつんくさんの曲で大好きな子が振付をした曲が生まれた、って、結ちゃんを好きでいるとどんどん夢が叶うなあと思った。
好きなダンスをする子が一から作る振付だなんて、贅沢で贅沢で死ぬ前の夢だった。
もう全部、最初から最後まで全部好きだった。
アンジュルムのメンバーはもちろん、石田亜佑美ちゃんもすごく褒めてくれて、本当に嬉しかった〜!!
好きなダンスをする子が振付を作るって!!こんなに幸せなんだ〜!!!って叫び回りたい気持ちだった。

カントリーガールズがまた再始動してメンバーが代わっても、この曲が結ちゃんの振付でずっと歌い継がれて欲しいなあ。

 

そうこうしているうちにこんな世の中になり6月の卒業公演も延期。
自粛期間中もハロプロYouTubeを活発に更新してくれた。
そんな時期に更新された動画がこれ👇

 

 

伊勢鈴蘭ちゃんのオシャレナイトルーティンに結ちゃんが怒涛の関西弁で鬼ツッコミを入れるという動画。

伊勢鈴蘭ちゃんは、結ちゃんの一つ下の後輩で本当に人懐っこくてマジで速攻でアンジュルムに溶け込んだ。グイグイ来る系の後輩だったと思う。
正直特別仲が良くなるとも思ってなかった。
それが一緒に動画を上げたから、本当に驚いた。しかも伊勢鈴蘭ちゃんのブログで、結ちゃん発案で「やろうよ!」と自分から言ったらしい…
人見知りじゃなかったのかも…私が心配しすぎていただけ…と思った。


けど伊勢鈴蘭ちゃんがブログで「船木さんは最初本当に目が合わなくて」と言っていてニッコリした。めっちゃ人見知りじゃん、可愛い。
結ちゃんが後輩とこんな特別仲良くするだなんて思ってもいなくて嬉しかった。

それからというもの、伊勢鈴蘭ちゃんがあざといキャラで結ちゃんに絡んで、それを結ちゃんが鬱陶しがるッ!という定番コントみたいなものが度々見れるようになった。
バチバチというか、キャラ被ってんねん!みたいな小競り合いをしていた。まさか結ちゃんが後輩とこんな…と100回思った。

 

そんな小競り合いを見る度にまた卒業が寂しくなっていった。

 

そろそろ卒業公演当日の話をしたいんだけど、その前に結ちゃんは握手の対応もすごく良かったんだぞという話がしたい。


箇条書きにします。

「髪切った?ってふなちゃんに聞かれて、ふなちゃんが私を覚えてくれてることに初めて気付いた」と言った時の結ちゃん「結構みなさんそう言うんですけどいっぱい来る方は覚えてますよ」

 

「アイシャドウ可愛いね〜」と褒めたところで剥がされブースを出ようとした私の背中に向かってシュウウエムラ!!!!!!!!!!」と叫んでくれる

 

「あ、マスカラの色かわいい」と言っただけで「これはペリペラ!!!!!!!」と食い気味に教えてくれる

 

私が話しているのをあまり聞いてないな…と思ったら「一個聞いてもいいですか…そのリップは…どこのやつですか…」と聞いてくる(かわいい)

 

「ふなちゃんのダンス見てるだけで大好きすぎてちょっと泣ける」と言うと「親戚のおばさんみたい〜」と言われ「おばさんはちょっと…」と言うと「おねえさん🎶」と言い直してくれる(やさしい)

 

オンラインお話会で久々の接触でも「あれ?前髪流すようにしたんですか?」と変化に気付いてくれる

 

「今日で仕事辞めちゃった〜」と謎報告すると「えっそうなんですか!?でも大丈夫ですよ、結ももうすぐ辞めるんで!!!!!」と励ましてくれる

 

卒業発表後すぐの個別で「卒業しちゃうんだね〜…」とめちゃめちゃ湿っぽい会話をして剥がされて出ていく私の背中に向かって「結もまた会えるように頑張るから!!」と言ってくれる…

 

接触の話終わり。

 

 

卒業公演は延期の末、12月9日武道館で行われた。


一曲目のI 無双 Strong、間奏の大好きなダンスで結ちゃんがセンターにいた。
結ちゃんはかむちゃんとペアの立ち位置が多くて、同期ですごく楽しそうに目を合わせて踊っているのが印象的だった。
冒頭の挨拶で「申し訳ないけど、今日は私が主役です!!」と言ってて嬉しかった。
卒業公演は、グループの公演とはいえとにかく卒業する本人が中心であるべきだと思っているので結ちゃんもそう思っている!と分かって嬉しかった。

 

結ちゃんとアンジュルムのメンバー1人ずつで、16分間結ちゃん出突っ張りのメドレーがあった。


ハロプロに憧れたきっかけになった曲でもある「チョトマテクダサイ」をスマイレージ2期の竹内朱莉ちゃんと

 

「サンキュ! クレームブリュレの友情」は佐々木莉佳子ちゃんと、お互いの顔を見て本当に楽しそうに

 

2年前、結ちゃんがアンジュルムとして初めて立った武道館で上國料萌衣ちゃんと歌った「自転車チリリン」をもう一度同じふたりで

 

元気でハツラツとした「臥薪嘗胆」を、仲良しでいつもうるさいくらい元気な笠原桃奈ちゃんと

 

同期で、誰よりも結ちゃんのことを大切に大切にしてくれた川村文乃ちゃんとの「Uraha=Lover」

 

バチバチコントをいつもしてた伊勢鈴蘭ちゃんと「鏡の国のひねくれクイーン」でちょっと面倒で可愛い女の子の曲

 

まだまだ子供な橋迫鈴ちゃんと、大人になる途中の結ちゃんで歌う「オトナになるって難しい!!!」

 

結ちゃんの卒業と同時に加入する新メンバー3人との「寒いね。」

 

どれもこれも十分すぎるほど、選曲にいろんな想いを感じた。
突然伝わらない言い方するけど、かむちゃんと結ちゃんの「Uraha=Lover」は、二宮くんと相葉くんのUBを思い出させた。

他のアンジュルムの曲でも、印象的なパートや立ち位置に結ちゃんが常にいるスペシャル仕様だった。こんな幸せなことがあるのか〜と何度も何度も思った。

公演中メンバー同士が一定の距離を保つのがいまのハロプロのルールだから、結ちゃんがみんなにギュウギュウされるところが見れなくてそれだけがずっと寂しかった。

 

 

竹内朱莉ちゃん
リーダーになって、どんどん頼もしくなって、きっと明るく送り出してくれるんだろう〜となんとなく思っていたから、もう笑ってしまうくらい泣いてた…交差点、全然歌えてなかった…
たけちゃんの結ちゃんに向けたメッセージが私にとってとても大切で温かいものになったのでざっくり書き起こします。

 

ふなちゃんがアンジュルムに入った時は本当にすごく周りに気を遣う子だったから大丈夫かな?って心配することが沢山あったけど、リハーサルとかライブをいくつも掛け持ちしてた時も弱音ひとつ吐かずに、アンジュのリハーサル終わったら『じゃあ行ってきます!』ってキラーンとした笑顔で次のお仕事に向かっていく姿勢を見て本当に強い子だなあって思ったし、ちゃんと支えてあげられてるのかな?って心配にもなったけど

アンジュルムにすごい馴染んだなあって思い始めてからは、黙ってるときないんじゃないか?ってくらいずーっと楽屋で喋ってたり何かあったときは『聞いてくださいよー!』って話してくれて、それがなくなると思うと寂しいなと思います。


でもふなちゃんにはこれからの人生、いままでたくさん…たくさん頑張ってきたからこれからは自分にあまあまで、とにかく自分を甘やかして…楽しく幸せに過ごして欲しいなっていうふうに思います。


烏滸がましいことを承知で言うけど、誰かメンバーに「頑張ったね」と言って欲しいとずっと思っていたから本当に嬉しかった。
人にたくさん気を遣うところにもちゃんと気付いて寄り添ってくれて、頑張ったことを褒めて、自分を甘やかすことをちゃんと教えてくれるひとがリーダーで本当に良かった。
これを言われたとき結ちゃんが、堰き止めてたものが溢れるみたいに下向いて泣いていたのを見てやっぱり「頑張ってくれてありがとう」と思った。

たけちゃんも、ずっと私がメンバーから聞きたかった言葉を結ちゃんにかけてくれて本当にありがとう。

 


佐々木莉佳子ちゃん
りかこちゃん、卒業するメンバーに向かっていつも「綺麗です」って先ず言うのがとても好きです。結ちゃんには「ふな、かわいいねっ♡」って言ってくれてありがとう、可愛いよね、語尾にハートが思わずつくくらいね、わかる…
りかこちゃんは本当に結ちゃんのことをたくさん可愛がってくれていて、アンジュルムになった結ちゃんを一番初めに遊びに誘ってくれていたのもりかこちゃんで。かまってちゃんを発動する結ちゃんをアンジュルムでも見られるようになったきっかけは、りかこちゃんなのかな?と思います。
最後の最後に「本当にわたしたちみんな、ふなのこと大好きだからね!!!!ラブ!!!!」って大きな声で言ってくれて、大好きを常にたくさん伝えてくれるアンジュルムに結ちゃんがいてくれたこと、本当に幸せだったと思った!

 


上國料萌衣ちゃん
正直かみちゃんの挨拶が一番心臓に来たし、泣きすぎて会場で聞いた記憶がない…
吐きそうになりながら若干呻き声まで出てた気がする、のでやっぱり書き起こします…

 

ふながアンジュルムを大好きって言ってくれたことが本当に嬉しくて…
去年ふなとそういう話をして、1ヶ月くらい話せなくなったときがあって、ふなはアンジュルム楽しんでるかな?ってすごい思ってて。

ふなが『アンジュルム大好き』って言ってくれても、本当かな?って心配になることが多くて、だけどふながアンジュルムを大好きって言ってくれて本当に嬉しい


私の、不安だったけど触れられなくてむりやり閉じ込めてたところに最後の最後触れてくれたかみちゃんは優しくて正直な子だ〜ラブだ〜
私もずっとアンジュルムにいる結ちゃんを見ながら、楽しい?しあわせ?大丈夫?と心の中で語りかけていたので…激重…
それに私も、大好きと言ってくれてるのを素直に受け取れなかったりもしていたし…
ずっと後ろめたいというか、好きな子の言ってることを信じられなくて一体私ってなんなんだろうと思ったりした。
かみちゃんが最後にこう言ってくれて、それでも良かったのかもしれないと思えた。
結局昔の私までかみちゃんは救ってくれたな〜ありがとう。

 

ところでライブ中私は結ちゃん双眼鏡ロックオンだから、かみちゃんが一曲目から泣いてたことも自転車チリリンで頬がビシャビシャになるくらい泣いてたことも知らなかった…
家に帰って、録画した生中継を見返したら一曲目からかみちゃんが泣いてて超びっくりした…こんな泣いてるのに自分が一切知らなかったことにもびっくりした…

 


笠原桃奈ちゃん
結ちゃんと一緒に、小難しくて考え出したらそんなことキリなくない?みたいなことをいつも話していた印象だった。
卒業の話を初めから聞いていた、と言っていて、当たり前なのかもしれないけどアンジュルムの中に卒業の相談を出来る子がいて良かったなと思った。
アンジュルムを大好き、って言い切ってくれたことがすごく嬉しくて、同じ気持ちで頑張ってきたんだなと思って嬉しかった」
やっぱり、結ちゃんがアンジュルムを大好きなことを喜んでくれる子がここにもいたことが嬉しかった。

 


川村文乃ちゃん
川村文乃ちゃんにずっと言いたいことがあった。川村文乃ちゃんの撮る結ちゃんの写真がいつも本当にかわいくて一番大好きでした…ありがとう…
かむちゃん、結ちゃんに対して私よりクソデカ感情抱えてそうだなと思っていました。
アンジュルムで活動してきた日々、たくさん楽しい思い出もあって、でもそのときいつも横にはふなちゃんがいて、これからの活動は居ないんだと思うと寂しいし悲しい」と言っていてこの同期の2人は、初めから2020年12月9日までずっと同じアンジュルムを見てきて感じてきたんだな、と思って、これからはそうじゃないんだ、と思って泣いた。
「いつも隣で笑ってくれてて、ありがとう。ずっとずっと大好きだから、好きでいてくれたら嬉しいです」なんて泣きながら言うので、泣いた…また泣いた…
めちゃめちゃ勝手なこと言いますけれども…結ちゃんの同期がかむちゃんで私はいつも安心していたし同期でいてくれてありがとうと数え切れないほど思ったよ、ありがとう。

 


伊勢鈴蘭ちゃん
私が見ることが出来ないと思っていた、先輩している結ちゃんをれらたんがいたから見れたこと、本当に感謝しています。
グイグイと距離を詰めて、結ちゃんのそこそこ頑丈な心の扉を開いてくれてありがとう。たぶんそれは、れらたんにしか出来なかった気がします。
「船木さんの性格で、あまのじゃくな部分がすごい大好きなのでこれからも変わらずにいて欲しいなって思います」って、本当にこの子は結ちゃんのこと大好きだ〜ってわかることを言ってくれてラブになりました…
それと、卒コンが終わったあとのれらたんのブログで「船木さんは私を変えてくれました」と言ってくれたのも宝物になったな〜…
いままで見たことなかった新鮮な結ちゃんを、れらたんのおかげでたくさん見れました、ありがとう。

 


橋迫鈴ちゃん
りんちゃん、最後までキラキラにこにこしていてたくましい子になったな〜と母になった。
加入したばかりの頃からずっとフレンドリーに接してくれた、と話してくれたけどきっとりんちゃんが人見知りだったからこそ、結ちゃんはとても頑張っていた気がします!!結ちゃんをまた先輩にしてくれたりんちゃん、ありがとう!!
りんちゃん、泣かずに最後まで話せてとても強くなったね。母より。

 


そして、船木結ちゃん
大好きです。
大好き以上の言葉が無いことが悔やまれます。
結ちゃんがアンジュルムのことをそう表してたように、私も結ちゃんに全く同じ言葉をかけたいです。
ハロープロジェクトにいたことから、アイドルになりたかった小さい頃の話、笑いを織り交ぜながらのお手紙を台詞みたいにハキハキと読む姿、本当に18歳の文章力と思えないです。すごいね。
でも、アンジュルムのメンバーへの内容になった途端言葉に詰まってしまうところも本当に、大好きです。

 

仕事終わりに2列になって帰る後ろ姿、電車のホームで「帰りたくないな。」を口ずさむ私を軽くあしらいながら必死にブログを書いているみんなの表情、でもその決まり文句がないと少し寂しそうなところ、日常の中に思い出が溢れすぎています。

そんな日常の中には常に「大好き」という言葉が当たり前にあって、そんなアンジュルムの空間が温かくて温かくて、とても心地よかったです。

 

こんなに「愛」というものを言葉にできる結ちゃんは、きっとたくさんの愛に触れてきたのだろうと思います。
その日常の小さな楽しさや幸せを感じて大切に思うことが出来るところが、結ちゃんの大好きなところのひとつです。

 

カントリーガールズとアンジュルム、兼任の大変さを分かち合えるひとは周りになかなかいなかったと思うけれど、メンバーがみんな言うくらい強くて、プロで、いてくれてありがとう。
ファンの前でだけ強く見せるだけじゃなく、メンバーの前でもそうあったんだと思うとどうしようもなく心配な気持ちになりました。
でもそうあろうとしてくれた、そうあってくれたアイドルの船木結ちゃんがやっぱり大好きです。

 

卒業後、明確に何をすると言っているわけじゃないけれど、表舞台に立つのかも分からないけれど、なんでもいいです。
いや、出来れば表舞台にいて欲しい。結ちゃんがどんな女性になるのかをやっぱり見させてほしい。
でもそれよりも、幸せであって欲しい。


46億年LOVEの結ちゃんパートで
「夢に見てた自分じゃなくても真っ当に暮らしてく 今どき」
というのがあって、本当にこの通りだと思う。卒業のとき、次になにかやりたいことが無ければいけないわけじゃないし「次の夢に向かって…」とかが理由じゃなくてもいい。
やりたいことが無くてもいいし、そんなにずっと頑張る必要もないと思う。
とにかく、心と身体を大切に過ごして欲しいです。たけちゃんが言ってたように、いままでたくさん頑張っていたし今まで本当に沢山のひとを幸せにしてきたんだからこれからは、甘やかされて誰かに幸せにされて楽しく生きていってくれれば、それが私の幸せです。

 

でも、最後の個別握手会で言ってくれた「結もまた会えるように頑張るから」って言葉を少しだけ信じて待っててもいいですか。

 

きっかけは結ちゃんのダンスだったけれど、ここまで楽しくずっと好きでいられたのは「船木結」という人間が大好きだからです。
結ちゃんはネガティブなところがあるけれどアイドルとして生きた5年間で、ハロープロジェクトメンバーやファンから、ポジティブな気持ちを少しでも受け取れていますように。
それがこれから先の人生、もしも辛いことにぶち当たったときのほんの少しのパワーになりますように。結ちゃんがハロープロジェクトのアイドルで、カントリーガールズで、アンジュルムで良かったと思えていますように。

 

どうかこれからも頑張りすぎず、ストレスのない優しい世界を生きていってね。

 

船木結ちゃんに出会えたこと、私の人生の誇りです!!ビッグラブ!!!!!


終わり💛💚