流行病体験記

なった。

 

新型コロナウイルス感染症に。

 

「熱が下がったら絶対にお前のことをはてなブログにしてやる」

という強い気持ちで高熱と戦ったので記念に記そうと思う。

 

健康に産んでもらったのでこれまで大きな病気はなく今までで一番つらかったのはインフルエンザかな?という感じだったが間違いなくコロナが一番つらい。

つらいのは3日間だったがその3日間がマジでつらかった。

 

これは注意喚起でもなければ、お役立ちブログでもない20代一般女性の流行病奮闘記である。

 

【年齢】20代

【住居】23区内 実家(母・妹・かわいい犬)

【仕事】一般事務 ここ数か月は毎日出社していた

 

 

1月27日(木)

 

友人とサロンデュショコラへ行った。

この友人とは年が明けて初めて会ったのだが「実はこの間コロナになった」と言われ驚いた。

車に乗ったままドライブスルー形式でPCR検査を受けたこと、療養期間中が長くて暇で、趣味で物書きをしている友人は「やることもないから筆が進んだ、3本書いた」と言っていたこと、症状はのどの痛みだけだったことなど色々聞いた。

次の日発症するなど知る由もない私はジャンポールエヴァンのケーキをばくばく食べながらこの話を面白おかしく聞いていた。

 

この日はサロショ内でクレジットカードを落として人生初の館内お呼び出しをされてとても恥ずかしかった。

まさかこれも・・・コロナのせい・・・?

 

 

 

1月28日(金)(発症日)

 

朝起きると少しのどが痛い。

口呼吸の癖があり乾燥してのどがガサガサすることがよくあったので気に留めず出社、仕事終わりに外食をした。

会社のひとに「声枯れてない?気を付けてね・・・」と言われ、やっぱり声枯れてるか、と思った。

気を付けてね、と言われてももしこれがコロナのせいなら今からなにを気を付けろというのだろう、と思った。

 

土曜は東京卍リベンジャーズ原画展に行く予定だった。

友人がコロナになり行けなくなったというので厳重な本人確認をすりぬけるため身分証まで借りた。

「原画展が楽しみで美容院とまつエクにまで行った、なので私の分まで楽しんできてほしい」と言われ仕事より重い責任を感じていた。

東京卍リベンジャーズに対して「喧嘩をやめて話し合え」「家族や恋人が本当に大切なら喧嘩はやめよう」という感想ばかり出てくるわたしには重すぎた。

とはいえ池袋のカフェを調べてここに行きたいなどと友人と話しながら明日を楽しみにしていた。

 

のどのガサガサが不安で、夜に恐る恐る熱を計ったが36.8度だった。

一応風邪薬を飲み、めぐりズムのうるおいマスクをして就寝。

これで明日の朝にはばっちりだ。

 

 

 

1月29日(土)

 

明らかにのどの痛みが増している。

ていうかもう唾を飲み込む度に激痛で変な声が出る。

ちょっと頭もぼーっとするかも、これはまずい。

とりあえず熱計ろう。

 

38.6度、終わった。

 

私はもともと自分の体調に鈍感だなと自覚はあるのだが熱が38.6度あっても、ちょっと頭がぼーっとするかも?などとほざいているのだ、いい歳してこれなのだ。

将来、病気の早期発見は無理だろうなと思う。

ここからは記憶が曖昧だ、それはそうだ、熱が高いから。

 

原画展に一緒に行く予定だった友人、身分証を借りた友人に光の速さで電話をして、身分証の件、チケットの件、グッズ代行の件すべて話して話を纏めたのだ、と思う。

人生の半分以上オタクをしているだけの本領は発揮できただろう。

 

そこからは濃厚接触者に当たるひと、会社に連絡。

 

会社から、PCR簡易検査キットをもらっていたのですぐに使って検査するも陰性。

これで陽性だと無料で訪問PCR検査をしてくれるサービスがついていたのだが陰性。

 

もう病院を探すしかなくなったので公共交通機関を使わず行ける発熱外来に片っ端から電話を掛けるが「予約がいっぱい」と断られる。

こ、これ毎日ニュースで言ってるやつ・・・

 

東京都発熱相談センターというところに電話をかけてみた。

結論から言うと自宅近くの病院を紹介してくれるだけだった。

発熱相談センターから紹介されたと言えば予約が取れるかもしれないので」と言われたが全くそんなことはなかった。全然無理だった。

でも対応してくれるひとはとても優しかった。

 

日曜は更にやっている病院が減るため、土日の受診は諦めた。

 

熱は最高で39.5度まで上がった。

解熱剤を飲んでも38度台までしか下がらない。

39度を超えてくるともう暑いのか寒いのかわけがわからない。

のどの痛みもどんどん増していく。

 

この日はまだご飯も食べれたし、水分も取れた。

 

これは東京卍リベンジャーズ原画展に一緒に行く予定だった千冬のオタクがくれたお見舞いの品、ドラケンのおねむたんだ。

ずっと見える位置に置いてドラケンの頭に彫られた龍を眺めた。

 

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1月30日(日)

 

熱は変わらず38~39度を行き来していた。

夜中布団の中であまりに寒くて動けず家族も呼べず、母にLINE電話をしたが出てくれず、布団の中で少し泣いた。

本当に寒いとひとは動けず震えることしかできないのか。

結局、母に助けを求めて毛布を得た。

 

この日がのどの痛みのピークだった。

 

まず声が出なくなった。

ただ呼吸をしているだけなのにのども、耳も痛い。

人間なので唾を飲み込むという行為は必須だ。

それがもう、もう、唾を飲み込むたびにのどが千切れるほど痛い。

次に唾を飲み込んだときにはわたしはもうこの世にはいないかもしれないな、という決意で毎回唾を飲むのだ。

のどが爆散してもおかしくないと本気で思った。

 

この日はこんな調子なのでご飯どころか水分さえもほぼ取れなかった。

寝てる間に無意識で唾を飲み込み、あまりの激痛で飛び起きる。

これを永遠に繰り返していたので寝ているというより常にウトウトしていたに近い感覚で本当につらかった。

例えるならこれである

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あと声が出ないというのがおしゃべりモンスターであるわたしにはかなりのストレスで泣きそうになった。

LINEで送ればいいのだがスマホをいじることもつらいのでできれば言葉で伝えたい、のだが声が出ない。

そうすると、もう言わないでいいかと諦めてしまう。

そして自分のことだれもわかってくれない・・・ムーブに突入した。

最悪だった。

 

この日、ベッドの下にスマホを落としてしまうという大変な出来事があった。

もう身体が熱のせいでいうことをきかないのでベッドの下に潜ってスマホを取るなんてとても無理だ。

でも声が出ない、家族を呼べない、スマホもないので連絡手段なし。

どうにか部屋を出たところで壁をバンバン叩いて妹に気付いてもらった。

こっちに来てほしいという意味で手招きをすると手を振られたと勘違いした妹が手を振り返してきた。

違う、違うんだ、姉ちゃんは。

部屋に来てもらって微かに出る声で説明しスマホを取ってもらった。

落としたスマホを拾うだけなのに一人ではどうすることもできないという事実にひどく落ち込み、布団の中でかなりしっかり泣いた。

情けない、やるせない。惨めで恥ずかしかった。

 

声が出るようになってから母にこの話をしたら涙を流しながら笑い「なんでそんな面白い話もっと早く教えてくれないの」と言った。

そりゃ、声が出なかったからね。

 

 

 

1月31日(月)

 

 祝・Travis Japan コンサートツアー

「IMAGE NATION」ライブDVD 発売日

 

などと言っている場合なわけもなく前日に続きのどの痛みがひどい。

もちろん痛み止めなどじゃぶじゃぶ飲んでいたがなにも効かないのだ。

 

午前中に発熱外来を予約して受診。

声が出ないので母についてきてもらった。

病院についたら電話をしないと院内に入れないというシステムで、もし声の出ないわたしが電話をかけていたら無言電話になってしまう・・・とくだらないことを考えながらPCR検査を受け終了。

結果は明日と言われた。

 

のどが痛くてご飯も食べられないという話を医者にすると「ポカリ1日2リットル飲んでれば1週間くらいは大丈夫だから」と言われた。お前は田中みな実か。pHがどうだとか言うのか。

声出ないので言いませんが。

よかったな、わたしの声が出なくて。

 

もらった薬のおかげもあってか、午後から熱も39度を超えることはなくなったので余裕だった。

38度台などわたしにはもう平熱と同義だ。

のども激痛には激痛だったが前日に比べれば多少マシだった。

依然声は出ないが。

 

夕方、家のインターホンが鳴った。

母と妹はお風呂に入ってるようだった。

Amazonかなにかだろう・・・

 

いや、

Travis Japan コンサートツアー

「IMAGE NATION」ライブDVD

が、来た。悟った。

 

気付いたと同時にマスクをしてダッシュで部屋から出てインターホンに出て「はい!」と言った自分の声に驚いた。声が出ないことを忘れていた。玄関に走り受け取った。

安心してベッドの中に戻ったところで急な激しい運動に身体が驚いてしまい呼吸が浅くなりヒューヒューしてしまった。

そもそもいつ受け取ろうが見れるのはまだ先なのだ。

わたしの隔離されている部屋にはDVDプレイヤーなどないのだから。

考えるより先に身体が動いてしまった。

 

このことを友人に話すと「インターホンで声が振り絞れないあたり本当に声が出ないのが伝わってきて臨場感がある」と高評価をもらった。嬉しい。

コロナになって良いこともあるものだ。

 

ご飯が食べれるレベルに回復したので素うどんを食べた。

のどが痛くて食べれないだけで空腹感はあったので暇さえあればInstagramTwitterで飯の写真を見ていた。

結果、いままで食べた素うどんで一番おいしかった。

テレビ千鳥 ガマン飯の原理である。

 

我が家は親子でドラマ好き、ハードディスクは常にパンパンなのだが元気になってきたこの日、母からこんなLINEが来た。

「元気なら月9のミステリと言う勿れ見ちゃってね」

「明日からのカムカムエヴリバディ(朝ドラ)も起きて見てね」

元気になってきた途端ドラマに対して鬼ストイックだ。

頑張ろう。ファイトソングも2話溜めている。

 

 

 

2月1日(火)(仕事復帰)

 

営業事務の仕事をしているので月初を休むのはいかがなものかなということで在宅勤務で仕事することにした。

声は少し出るようになり、本間朋晃のような声になっていた。

 

熱はもう37.5度以下といったところで、日に日にのども良くなっていく。

 

ここでようやくPCR検査の結果が来る。

陽性。でしょうね。

 

会社内(東京支店内)でコロナ第一号という不名誉な称号を得た。

会社にもさすがに迷惑がかかるので申し訳ない気持ちになるだろうと思っていたが存外そんなことはなかった。

在宅勤務ができる環境であるにもかかわらず出社させるような会社なので予め在宅勤務という措置を取らないのが悪いんだよな、となった。

 

会社のひとから電話で「今日の東京都の感染者の何万人!の中の一人が○○さん(わたし)ってことやんな!?」

と言われた。そうだよ、普通に考えて。

 

 

 

2月2日(水)~

 

熱は完全に下がり、のども日に日に良くなっていく。

久々にのどの痛みに起こされることなく睡眠がとれた。

この日くらいから咳がしつこくなってきた。

のどの痛みとバトンタッチかのように咳が出るようになった。

声も日に日に本間朋晃ではなくなっていく。よかった。

このまま回復して何かの間違いで小泉今日子の声になったりしてくれないだろうか。

 

 

 

おわりに

 

実家暮らしであること、母がいることに感謝した。

一人だったら野垂れ死んでいただろう。

もう一生実家に居たいな。

 

熱が出てから、濃厚接触者の期間や自分の療養期間同居している人間の待期期間など調べたが遅いなと思った。

熱があるので文字が読めない、それはそうだが。

 

あと一応東京都からSMSで健康確認みたいなのが来る。

感染者数が多すぎるので仕方ないが東京都の陽性者に対する対応はSMSで調子どう?と聞いてくるのみだ。

 

 

もう書くこともないので最後に、粉薬が苦手な2〇歳女性独身実家暮らしの服薬写真で終わろうと思います。

 

ありがとうございました。

本当につらかったのでみなさん感染しないほうがいいです。

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